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いちじま丹波太郎について

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いちじま丹波太郎について
 
 ●有機農業の歴史

市島町の有機農業の始まりは、1975年までさかのぼることが出来ます。愛農会の元会長であった市島町の近藤正氏が、兵庫県有機農業研究会にて消費者団体(食品公害を追放し安全な食べ物を求める会)の要望を受け、町内の農家に有機農業への取り組みを呼びかけました。これに呼応した34名の生産者により、市島町有機農業研究会(市有研)が発足しました。1980年代中頃から、全国的な動きと同調するかのように、市有研以外にも有機農業にたずさわる団体が多数出てきました。2000年6月、そのうちの11団体によって「市島町有機農業推進協議会」が設立され、各団体の横のつながりを深めると共に有機農業の輪を広げるための活動を行いました。しかし、その翌年「いちじま丹波太郎」が発足したため、2002年4月に同協議会は解散し、現在その役割は全て「いちじま丹波太郎」に引き継がれています。
 ●町・農協の取り組み (2004年11月の丹波市誕生まで)

市島町は、町や農協が有機農業の発展にかかわった全国で最初の例だと言われています。有機農業にとって大きな問題となる農薬の空中散布も、氷上郡全域での広域防除という方針であったところを市島町では中止されました。有機農業関係者の反対はもちろんですが、中止になりえたのは町や農協の理解があったからこそだと言えます。
市有研設立当初は協力的であった行政も、市有研と提携先の消費者グループによる幾度かのゴルフ場建設反対運動などにより、1990年ころから市有研とは疎遠になり、積極的には関与しなくなりました。
しかし一方で、畜産農家から排出される畜糞による公害問題を解決すると共に農業の基本である「土づくり」をすすめるため堆肥センター(「市島町地力増進施設有機センター」)を建設し、1992年度より堆肥(「市島ユーキ」)の製造販売を開始しました。ダンプ1台分(約1.5 t)の散布に対し2000円の補助が町から出されています。有機農業発展の基盤として、この有機センターの果たす役割は大きなものとなっています。
2001年度には「安心・安全農産物生産等推進支援助成事業」をスタートさせ、有機認証を受けた生産者に対してかなり高額の助成(直接補償)を行っています。(現在も続いています。)
2002年度と2003年度には、特別栽培農産物として減農薬あるいは減化学肥料栽培にも助成の対象を広げました。(丹波市への合併と共に、特別栽培農産物に対する助成はなくなりました。)
町の農政としては、従来どおり大型専業農家の育成と、ムラとしての機能を維持しながら収益性の高い自立する農業を目指す「集落営農」に力を入れてきました。しかしこれと並行して、安全・安心な町づくりの象徴として「有機の里」の育成にも本腰を入れ始めました。
一方農協は、市有研を含む有機農業に取り組む団体を部会として抱えてはいるものの有機を目指す特別な動きはありませんでした。これは1990年に郡内の農協が丹波ひかみ農協に統合され、市島町だけの動きがとれなくなってしまったためだと思われます。
 ●いちじま丹波太郎の役割

持続可能な循環型の社会づくりを目指し、町内の有志が「いちじま丹波太郎」を組織し、2001年11月に特定非営利活動法人(NPO法人)として正式に発足しました。地元の農産物の販売、加工品の開発、都市との交流企画、学校給食への地元の食材の供給等を行うことにより町(現在は丹波市)の施設である「まちおこし会館」を地域づくりの拠点として活動しています。また、町独自の栽培基準作りや認証制度の運用を行うなど、町と協力して「有機の里」づくりを推進してきました。2004年11月には、合併により「市島町」はなくなり「丹波市」の一部となってしまいました。今後「いちじま」の地が「有機の里」として育ち、その輪を広げていくためには「いちじま丹波太郎」の役割がますます重要になっています。
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